Noman's Land







 屋上ってのはなんか、メランコリーだ。
 きっとそこには何も無いし、どこへも行けないからだ。空に届こうと背伸びをしても、屋上じゃあ届きっこない。
 ここからじゃ、どこへも行けないんだ。
 自由で開放的に見えて、そのくせ俺より背の高いフェンスに囲まれてる。それでも教室にいるよかマシだけど、でもせいぜい比べてマシって程度だ。
 でも、こうして授業をサボって寝転がってたら、やけに青く見える空がいっぱいに広がって、そのうちメランコリーなんかどうだって良くなる。特にこんな晴れた日は、気持ちいい風の吹く屋上で昼寝をするのが一番いい。


 スーっと


 目の前を横切ったそれは、紙飛行機。
 変なこともあるもんだ。
 それは速いとはいえないけれど、上手く風に乗った緩やかなスピードで、俺の目の前を真一文字を描いて流れていく。


 スーッ


 また来た。
 今度はさっきの三角のと違って、なんか不格好に四角い。


 スゥ、スー


 おう、今度のは曲芸型か?
 フッと浮かんだと思ったら、また風にのって消えてった。


 カサ、カサ、……カサ


 フェンスに当たって落ちる乾いた音が聞こえる。
 残念。紙飛行機でさえも、このフェンスを超えることは出来ない。


 スーッ


 懲りないやつだ。今度はちょっとスピードが速い。
 だがまだまだ甘いな。元弓道部の動体視力を舐めるんじゃねぇ。俺にはそこに書かれた文字だって見えるぜ。


     treary 名 1(国家間の)条約、協定、盟約、条約文書  2(個人間の)交渉、条約
     treble 形 1三倍の、三重の、三様の 2高音部の、ソプラノの……


 って、こりゃ英和辞書じゃねぇか。
 飛行機が飛んできた方を見れば、四角く作られた階段通用口。その屋上からスーッっと新手の飛行機が飛んできた。誰かがそこで紙飛行機を量産しているらしい。
 が、これはヤバイ。何せ授業中に学校の屋上の、さらに通用口の上なんていったら人が来ないことこの上ないノーマンズランド。
 そんなところで辞書を破いて紙飛行機を折ってるなんて、所謂受験ノイローゼかもしれん。
 別に俺は義理でもなんでもなく、このままここから落ちられたりしちゃ大変だってだけで、粗末なはしごを上って通用口の上に上ってみた。実は結構、紙飛行機にも興味がある。
 だけど残念かな。この学校は男子校だ。悩みを抱えて影を背負った儚げな女子生徒との偶然の出会いは望めるわけも無い。
 案の定、そこにいたのはがっしりした色黒の男だった。白いシャツの袖から伸びた腕が、えらい引き締まってて見るからにスポーツマンだ。
 そのスポーツマンの正体は隣のクラスの篠田だった。たしか陸上部の部長で、本人も長距離で県大会に出場していたはず。クラスでは人当たりが良くて真面目で明るい奴として通っていたような気がする。隣のクラスだからあまり詳しく知らないが。
 が、ここにいるそいつはそんな評判瞬時に否定できるくらい呆けた顔で、辞書を破いては紙飛行機を折って飛ばしていた。
「篠田? ここで何してんの?」
 振り返ったその表情は、これまた評判を打ち消すほど驚いて狼狽したもの。こりゃあ、写真撮れば一ヶ月はクラスのネタに困らねぇなってくらい物珍しい驚きようだ。だが残念かな。俺はそのとき携帯のカメラを起動する手間を惜しんだ。
「え……っと、井出、だっけか? B組の」
「あ、俺の事知ってんだ。そ、B組の井出君です」
「おまえ、ここに何しに?」
「だからそれは俺の質問だってば。陸部の元部長が受験ノイローゼで辞書飛行機飛ばしてました、じゃ洒落にならんだろうが」
 一瞬、おびえとも怒りとも取れるような複雑な表情を浮かべて、破られた辞書に目を落とす。
「そうか、心配かけて悪かったな」
 そう言って上げた顔はもういつもの爽やかスポーツマン篠田に戻ってた。さすが元部長。他人に見せる顔ってのがわかってるらしい。
「別に。昼寝してたら目の前を飛行機が飛んでくから気になっただけ。で、篠田、おまえtrearyの意味は?」
 俺は結構、意地悪だったりする。とくにこういう実直な奴ってのはイジメがいがあって大好きだ。
「は?」
「だからtrearyの意味」
「……わからん」
「だったら、紙飛行機にするなよ。勿体ねぇ」
 自分でページを破り取った辞書を片手に黙りこくる篠田。それをよそに俺は辺りを見回す。青い空の下、近所の景色が一望できた。
「でもこの景色は、確かに紙飛行機飛ばしたくなるよな」
 遠くに見えるビル群は、三駅離れた繁華街だろう。緑に覆われているのは高台公園だ。何の変哲も無い風景だけど、ここから見るとそれが綺麗に感じられる。こんな絶景ポイント、よく見つけたものだ。
「記録が伸び悩んだり、部活で問題があったとき、良くここに来たんだ。ここは、一人でいられたから」
 篠田がボソッと呟く。その言葉に、俺は自分の失態を呪った。
「邪魔して悪かったな、おまえの場所をさ」
 人には立ち入られたくない場所ってのは確かにあるもので、俺はそこにずかずか土足で入り込んでしまったらしい。そそくさと出て行こうとする俺に、篠田が声をかけた。
「いや、構わない。止めてもらわなかったら、俺きっと辞書一冊なくしてたと思う」
 気持ちのいい風が二人の間を吹き抜ける。
 その風に誘われるように先に口を開いたのは、篠田だった。
「井出、部活入ってたか?」
「弓道部。元、だけどな」
 俺たち三年は、先月のインターハイ予選を最後に仲良く引退してる。残念ながら毎年恒例、インターハイ出場が決まった部活が無い。だから今はどの部活でも世代交代されたはずだ。むしろ県大会まで進出した俺たち弓道部や、篠田の陸上部のほうが他の部活より選手生命が長かったはず。
「俺は陸上部だったんだ」
 この学校の三年なら誰でも知ってることを篠田は言う。だけど、口を挟むのはやめておいた。
「中学からずっと陸上続けてた。高校入った時も当たり前だと思って陸上部に入った。ただ走ってるのが好きだった」
「いいんじゃね、青春って奴で。俺だって部活ばっかだし」
「ずっと、トラックの白線ばかり見てた。コンマ何秒の数字に一喜一憂して」
「俺たちもこんな天気のいい日は草野球して、3on3して、雨が降ったらサブアリーナでバドミントンして、楽しかったなぁ」
 篠田が眉をしかめる。
「ちょっと待て、おまえ弓道部じゃなかったのか?」
「弓道部よ。部室には野球用具、サッカーボール、テニスラケット、バスケットボール、何でもあるぜ。やりたいことをやるのがうちの部のモットーでね。弓を引きたければ引く、草野球がしたければする。自由な気風の部活だからな」
「なんだ、ただのオールラウンドクラブか」
 篠田は侮蔑をこめて言う。そりゃ、陸上一本でやってきた篠田にとっちゃあ、本来の部活をおろそかにして遊んでばっかりいるオールラウンドの部活は見下した存在なんだろう。
 腹立つな。……事実だけど。
「でも、俺たちは俺たちで好きなこと一生懸命やってただけだぜ。好きなことに使ってた時間を引退っていう名目で剥奪されたのに違いは無いんじゃね?」
「……そうだな、悪かった」
 篠田、体育会系にありがちな性格らしい。自分に非を認めたら潔く謝る。こういうの、俺たちには無いけど嫌いじゃない。
 それにしても律儀な奴。
「ま、オールラウンドってのは間違っちゃいねぇよ。県大会出場の実力を持つ、オールラウンド弓道部だ」
「そうだったな、弓道部は県大会に行ってたよな。井出はレギュラーだったのか?」
「一応、団体戦では大前……五人で射つ時に一番前で射つ、野球で言う一番バッターみたいなのやってたぜ」
 そう。一番バッターだ。俺が中てれば後の連中の調子が上がる。俺がはずせば後ろの連中にプレッシャーがかかる。結構重要なポジションだったんだ。ただ大会でも緊張しないってだけで選ばれたんだけどな。
「大学行っても続けるのか、弓道?」
「さあ? 俺はわかんねぇ。でもたぶん続けないと思うな」
 本当はたぶんではない。間違いなく、だ。弓を引くことは、もう無いだろう。
「どうして? 県大会に行くレベルなら、相当練習したんだろ?」
 そう、365日のうち350日は弓を引いてた。息抜きに遊ぶことはあっても、弓を引かない日はほとんど無かったんだ。俺は弓道が好きだった。でも、俺が好きな弓道は、きっともうどこにも無い。
「練習はしたし、弓道も嫌いじゃない。でも、なんか違うんだよ。別のメンバーで別の雰囲気でやるとさ、きっと俺の好きな弓道じゃなくなる。だから、続けたくないんだ。俺は純粋に弓道を愛してたってわけじゃねぇからな。あいつらとワイワイ何かに熱中できるなら、何でもよかった。だから俺は、大学に言ってまで続けたいとは思わない。でも篠田はもちろん大学行っても続けるんだろ、陸上?」
「俺も、わからない」
 少し、答えに間があった。
 俺にはその篠田の答えが意外だ。こういうタイプは、バカが多い。バカの前にスポーツ名がつくバカだ。だったら、部の雰囲気やメンバーなどお構い無しに続けると思ったんだけど。
 篠田は足元を見つめながら拳を握りしめていた。
「俺はずっと、記録ばかり見てきた。フォームを、スタートのタイミングを、左右の筋肉のバランスを、ゴールの先を、そればかり見て生きてきたんだ。だから、大学に行っても陸上をやるかもしれない。けど、その先はどうだ? 社会人になっても陸上をやるのは難しい。陸上しか見てなかったのに、陸上がなくなったら、何が出来るって言うんだ? 俺は怖い。俺から陸上がなくなったら、何も無い自分が残る。それが怖いんだ。陸上を退いて、それが初めてわかった」
 高校から弓道を始めた俺には、篠田ほどの怖さはない。中学は楽しくバスケ部だったし、高校は弓道で楽しませてもらった。大学に行ったらまた別のサークルに入って、それなりに楽しく過ごせるだろうと楽観的に考えている。
 でも、篠田には陸上しかなかった。唯一だったはずのものを失う、それは確かに怖いかもしれない。
「六年間、ずっと陸上部だったんだな」
「ああ、それ以外は何も覚えて無いくらい、ずっとトラックを走ってたな。他の全てを犠牲にしてまでも……」
 きっと篠田は今までの時間が無駄になるのを怖がってる。陸上を辞めてしまえば、今まで陸上に費やしてきた時間が全て無駄になるような、そんな気がしているのかもしれない。
 けれどそれは、きっと無駄じゃないはずだ。上手くいえないけど、でも、絶対にそれは無駄じゃない。
 無駄じゃないけど、それに気づくにはもう少し時間がかかりそうだ。篠田は、真面目だから。
「でもさ、そんなに深刻に考えることも無いんじゃね? 大学には陸上部があるはずだしさ、とりあえず執行猶予が四年あると思えば。大学で陸上やんなかったら、おまえ絶対後で後悔するぜ」
「執行猶予、か。確かにそうだな」
 篠田はいまだ踏ん切りがつかないあいまいさを残したまま、空を見上げる。
「俺たちってば、結構何でもできるんじゃね。陸上やってたなら、体育知識だって半端無いわけだし。卒業したらトレーナーとか、社会人選手って道だってあるだろ」
「馬鹿野郎、そんなに簡単になれるかよ」
「簡単になんかなれるわけねーじゃん。だから努力すんだろ。うちの陸上部だって、結構強豪だって聞いたぜ。そこでレギュラー取れるくらい練習したならさ、大学行っても頑張れよ。何びびってんだよ元部長がさ」
 そうだ。あれだけ毎日、野球部やサッカー部以上に練習してた陸上部が大学に行ったら通用しないなんてはずない。俺のヘタレ弓道は通用しなくても、篠田なら陸上で絶対やっていける。
 一度だけ、体育祭のときに見た篠田の走り。素人目で見ても、それが他とは群を抜いて違うことがわかった。綺麗だった。風に乗って走ってるみたいに、あっという間にゴールテープを切ってた。そして記録を聞いたときの、不満足そうな顔。あれだけ速く、気持ちよさそうに走っておきながら、まだ足りないらしい。
 あの時俺は、名前さえ知らなかったあの男が負けず嫌いで貪欲だって事だけは良くわかった。俺とは正反対。でもそれは、嫌悪ではなく……。
「頑張れよな。俺、おまえが落ち込んでるとこより、走ってるとこの方が見るの好きだ」
「井出、おまえいい奴だな。こんな受験ノイローゼみたいな俺、励ましてくれて」
 篠田があまりにも爽やかな笑顔で言うもんだから、俺はあいまいに笑って目を逸らした。怒鳴られるのとからかわれるのなら慣れてるけど、こういうのは苦手なんだ。
「行こうぜ篠田。そろそろ五時間目、終わる」
「そうだな」
 通用口の上から降りると、俺はフェンスの下に溜まってる紙飛行機を拾いに行って、後からついてきた篠田に、その紙飛行機を手渡した。
 篠田はそれを一枚一枚律儀に開いてしわを伸ばしては、辞書にはさんでいく。
「なぁ、なんで紙飛行機だったわけ?」
 俺の質問に篠田が苦笑する。
「陸上を始める前、俺は何やってたんだろうって考えたら、毎日紙飛行機折って友達と飛ばしてたってことしか思い出せなかったんだ。小学校のとき、クラスで流行っててな。あの時は、紙飛行機が空に届くような気がして飛ばしてたんだ。純粋だったな。今やっても、空に届きやしない……」
「それだけ、俺たちがでかくなったってことだろ。六年もあったんだからさ」
「六年も、陸上漬けだったんだな」
 六年。空が遠くなるのには十分な時間だ。
 紙飛行機は空に届きやしない。届きそうに見えたのは、幼かったからだ。今ではもう何もかもが成長して、夢などは見られない。それでも、篠田は空に届きたかったんだ。
 昔は俺も、手を伸ばしてた。空をつかめたら、何かが手に入るような気がして。自分が何か、変わるような気がして。
 ……今やるべきことは受験勉強、ではないかもしれない。
「篠田、どうせ勉強も手につかないんだろ。受験ノイローゼにはスポーツが一番! バスケしようぜ。どうせもうすぐ昼休みだし」
 だが俺の好意を、篠田は申し訳なさそうに首を振って断った。
「嬉しいが、ちょっと野暮用だ。昼休み職員室に呼び出されてんだ、俺。もしよかったら、放課後でもいいか?」
「呼び出し直前にサボりとは、いい度胸だな篠田。わかった、じゃあ放課後」
 俺は辞書を片手に階段を下りていく篠田を見送った。
 あいつは、俺には無いものを持ってる。きっとそれは一般的には熱意とか、情熱とか、向上心とか、粘り強さって言われるのかもしれない。
 だけど俺にはその全部がうそ臭く聞こえる。そんな言葉じゃない。そんなのじゃ表せない、もっと心の奥で渦巻いてる、何かだ。
 俺にはそれがない。あいつは俺とは何かが違う。
 だから少しだけ、羨ましく感じた。
 俺は弓道を続けられない。続けたら、中途半端な気持ちで辞めてしまいそうだから。だって俺が好きだった弓道は、もう終わってしまったから。
 あいつはまだ終わってない。あいつはまだ先に続く長い道のりにいて、俺にはそれが悲しいくらいに羨ましい。
 やっぱり屋上は、メランコリーだ。

「じゃ、行きますか」
 ホームルーム後、すぐに篠田を捕まえた俺は野外弓道場へと向かった。もちろん部室でバスケットボールを調達するのも忘れない。
 校舎の裏にぽつんと置かれた弓道場は、見るからに貧相だ。的だけは屋根がついているが、射場は野ざらし。まるでピッチャーマウンドのように、少しだけ盛り上がっている。そこで早々と弓を射つ下級生達を通り過ぎ、俺と篠田はその奥にある簡易バスケットゴールを目指した。
「こんなところにバスケットのゴール……」
「部員のカンパが実を結んで二年前に購入したわが部の備品だ」
 しめて一万九千八百円也。突然理由も明かされずに月謝と称して徴収された二千円は痛かった。ちなみに、上級生は千円だった。理由を尋ねたら、購入する備品を一番多く使うのはおまえたち一年だからだと言われた。何て不条理。だが、おかげさまで二年間充実した部活動生活を遅れたのも事実で、一概に先輩達を責めることは出来ない。
「よし、やろうぜ。俺は中学校でバスケ部だったからな、ハンデいるか?」
「いるわけ無いだろう」
 篠田が口の端をゆがめてニヤリと笑った。なんて負けず嫌い。それでこそ、勝負のしがいがあるってもんだ。
 俺はその場で二三度ボールをついてから、篠田を抜きにかかった。篠田は俺よりもタッパがある。まるで覆いかぶさるようにガードする篠田を、俺は難なくかわすが、やっぱりあいつは陸上部。とっさに軸足で方向を切り替えて追ってきた。俺は奴の追撃を振り切って、ボールを投げる。だが、勢いありすぎてボールはゴールにバウンド。篠田はそれをキャッチして、今度は俺に向かってきた。
 体育でしかバスケをしていないだろう篠田は、それでも持ち前の脚力で俺のガードを振り切る。だが、元バスケ部を舐めてもらっちゃ困る。俺はすぐさま篠田のガードに復帰して、行く手をさえぎる。
 が、一瞬篠田が笑った気がした。
 え、っと思ったその一瞬。
 篠田は俺を抜いていた。振り返った先で篠田は、もうランニングシュートの体勢。慌てて追ったその先で、篠田はボールをゴールへとジャンプしながら持ち上げる。それを、ほぼ真下から見てしまった俺には、ボールをゴールに入れるだけのその動きが、まるで空を掴んでいるように見えた。

 澄み渡った蒼穹を、その大きな手のひらで掴むかのように、高く、高く――

 ああ、こいつはとっくに空を掴んでたんだ。紙飛行機なんかに頼らなくても、自分の手でこんなにも綺麗に。
「どうした、井出? 俺に抜かれたのがそんなに悔しいか?」
 呆けてた俺に、篠田がしてやったりといった顔で挑発してくる。俺はすぐさま素に戻った。とたんに、胸の奥底に渦巻いていた感情が、爆発するように湧きあがってくる。
「ああ、悔しいね! ずるいぞ篠田。おまえ本当は中距離じゃなくて高跳びの選手だろう?」
「中距離にも出場するが、高跳びは得意競技だ。それにな、井出。俺は今度の球技大会でクラスの命運をかけたバスケの代表メンバーなんだ。毎日元バスケ部の連中にしごかれてる。どうだ、ハンデいるか?」
 篠田の挑発に、俺はボールを脇に抱えて言ってやった。
「馬鹿言ってやがる。今のが俺のハンデだっての。大体受験生が球技大会なんかにうつつ抜かすなよ!」
 ちなみに、俺が球技大会でバレーに出るのは内緒だ。
 不意に、篠田が意地の悪い笑みから普通の爽やかそうな笑みに戻った。
「そうそう井出、先に礼を言っておく。おまえのおかげで俺、大学からのスカウトを受ける決心がついた。本当は俺、東京の私立大学から陸上でのスカウトの話が出てたんだ。でも俺は大学で陸上を続けるかどうかも迷ってた。だけどおまえと話して思ったんだ。自分の気持ちに嘘をついたら、後で絶対後悔するって。だからさっき担任にスカウトを受けることを話してきた。おかげさまで受験生卒業だ」
 なんだ、やっぱりこいつはもう空を掴んでやがる。
 認めたくなかった、俺にこんな感情があるなんて。篠田に対する憧れと嫉妬とライバル心が、俺の中でむくむくと湧きあがってきた。
「合格上等! じゃあ俺は大学決まって腑抜けてるおまえに、現実って奴を見せてやるよ!」
 俺は篠田に向かってドリブルを始めた。
 今度は俺が、あの空を手にするために。







言の葉砂漠/宇津木様 著